2015年10月3日土曜日

大学 公開講座 後半②

2397歩

今日は公開講座後半の二日目
講義題目は「鎌倉・京都・平泉を考える」

前回は鎌倉を地理学の面から解説してもらったが、今回は史学の方面からの講義だ。

昔学校で歴史の授業で習った人物や戦争の名称が次々と出てくるが、意外と覚えているのに自分で驚く、成人するまでに受ける教育ってしっかりその人の芯の構成形成に影響しているのだと実感した。

【授業メモ】

・三都物語 鎌倉(源氏)、京都(平家)、平泉(藤原氏)
・12世紀に内乱、新しい時代(中世)
・水平軸(地理)垂直軸(歴史)
・当時「鎌倉幕府」とは自分たちの事を言っておらず「我が関軍」と言っていた。
・たかが鎌倉(京都宮廷側から) されど鎌倉(武家側)
・至尊(シソン)=至強(シキョウ) 公武合体で推移
・至尊:最も尊い物:権威:天皇  至強:最も強い物:権力:時に天皇、時に武家
・平家と源氏 どちらが好きかと問うと、一般日本人は源氏と答える:平家/なよなよ、源氏/潔良い
・平家は(成り上がり)王朝に同化を目指す方針  源氏は王朝に自己を追認させる方針
・平家、源氏共に荘園(土地システム)が基礎
・中国の皇帝のシステムを日本も真似るが、実際には中国は至尊=至強を貫き、次々に革命で皇帝が替わり、18の皇帝が誕生する、一方日本は革命が無く1つの皇室が代々続いた。
・源頼朝の生涯: 13歳まで京都、流人で20歳で伊豆、鎌倉に根付く、幕府を鎌倉に開いても京都皇室から官職を与えられる事を拒否、京都に出かけたのも2度だけ鎌倉から離れなかった、50代の半ばで死去
・源頼朝 1180挙兵 1185平家を滅ぼす 1189平泉の藤原氏を滅ぼす 1190初めて上洛 1196二度目の上洛
・頼朝と宿敵後白河法皇
・吾妻鏡(アズマカガミ)の記録によって歴史を後世に残す。

先生の”語り”が上手いのもあって、90分の講義全く飽きる事なく集中、楽しかった。
日本の歴史を語るときに皇室抜きでは出来ない事を改めて実感した。


学食の喫茶コーナー、60円コーヒー

学食 カツカレー360円

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